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はじめまして。ニュージーランド在住のひろこです。

2009年に息子の父親の国であるニュージーランドに移住。その後1年ホームシックで引きこもり生活を経た後、弁護士やコンサルタント等を介さずにワークビザから永住権を取得。

現在は息子と暮らしながらグローバル企業のニュージーランドオフィスでマネージャーをしつつ、ニュージーランドの文化や生活、海外でのお仕事、その他ニュージーランドでのおすすめなどの記事を書いています。

アメリカに憧れた小中学校時代

私が海外に興味を持ち始めたのは、小学校の頃から。当時は英会話の教室に通っていました。

その頃人気があったドラマにスチュワーデス(死語)が主人公のお話がありまして、タイトルは言わないけど、、、知ってる人は知っている。年がバレますね。仕事をしながら海外に行けるなんて素敵な職業!と将来はこの仕事に就くことを決意します。

小学校高学年になる頃は小林克也さんの『Best Hit USA』の放映が始まり、マイケル・ジャクソン、マドンナ、ボン・ジョビなどの洋楽が次々と日本に入ってきた時代。2歳上の兄の影響もあり、邦楽よりも洋楽を聴き始めるようになります。
ちなみに生まれて初めて行ったコンサートは、リック・アストリー歳がバレる。

またNHKでは70年代からかな?『セサミ・ストリート』が放送されており、また80年代にはマイケル・J・フォックス主演の『ファミリー・タイズ』などのアメリカのドラマが始まりました。
あっ年代言っちゃった。

学校から帰ってきた放課後や週末にはよくこんなテレビ番組を見ていたっけ。

当時は
外国=アメリカ
としか思わないほど、どっぷりアメリカ文化に浸かっていました。

英語が好きで、本格的に学んだ学生時代

そんな感じでアメリカに憧れを持って育ったので、英語を勉強したくなるのは当然でした。

もちろん学校での一番の得意科目も英語。公立の中学を卒業したあとの高校は帰国子女と在日外国人が多い学校へと進み、いろんな文化を経験したり国籍がそれぞれ違う友達と高校時代を過ごします。

そして大学は、卒業生にキャビンアテンダントが多い大学を受験してなんとか合格。ここで英語を言語学という観点から学びました。

日本から出て、海外で暮らしてみたい!と想っていたので、学生時代の目標はアメリカ留学!

だがしかし、、、挫折、挫折の繰り返し

自費で留学できるほど金銭にゆとりがある家ではなかったので、都や学校が主催する交換留学プログラムに応募するしか留学への道はありませんでした。

英語は結構得意な方だと思っていた、、ので、交換留学プログラムには余裕で受かるだろうと思っていたんですが、、、

まずは高校の留学選考会で落ち、そして大学の交換留学プログラムにも落ち、

そしていつしか就活の時期になったのですが、昔から憧れていたキャビンアテンダントになるべく国内外の航空会社の門を5社くらい叩いたのですが、なんと全ての会社で選考に落ちてしまいました。

ある航空会社では、「生まれつきの椎間板ヘルニアがあり、キャビンアテンダントの業務で腰を痛める人が多いため」とその理由を教えてくれましたが、、、

身体的理由、という生まれつきの原因で憧れていたキャビンアテンダントになれないのか、と思うとなんだか海外への道が絶たれてしまったような気がしたものです。

今振り返ればこれくらいの挫折をしても他に外国に出る道はたくさんあっただろうに、と思うのですが、当時大学4年生で周りの友達が次々と就職先を決めていくのを見て、私もとりあえずどこかに就職しなきゃ!という焦りから、英語とは一見無縁と思える業界に就職をしてしまいます。

転機はこんな形で訪れた

毎朝満員電車でギュゥギュゥに押され、残業で終電を逃しタクシーで家に帰る日々の中、
あぁきっと私はこのままいつか誰かと結婚して、日本で一生暮らすのね、、、
と思いながら会社員をしていた数年間。

ある時から、当時同じチームで働いていたニュージーランド人と毎日仕事を一緒にするうちにお付き合いをするようになりました。

お付き合いは順調に進み、、、と言いたいところですが、なにせ長期の海外生活をしたこともなく
海外旅行と1ヶ月半のアメリカでのホームステイはしたことがありました。
それまで外国人とお付き合いをしたこともなかったバリバリ日本人のわたしと海外からやってきた彼とはケンカ、ケンカの繰り返し。

それまで何度かしてきた別れ話をまたしていた頃、ある事実が判明したのです。

それは予防していたにも関わらず、まさかの妊娠

彼は産むか産まないかの選択肢は私に任せると言ってくれたので、私は迷わず
赤ちゃんはせっかく私を選んできてくれたんだから、たとえシングルマザーになってでも産んで育てたい
と決意を固めたのでした。

私のその決断にニュージーランド人の彼は出産と子育てに協力してくれると言ってくれ、出産後しばらく親子3人で暮らしていましたが、もともと性格の合わない二人だったのでパートナーシップがうまくいかず。まだ若くてお互いに至らない点も多々あったと思います。結局、息子がまだ赤ちゃんだった頃にお別れをすることになりました。

そしてニュージーランドへ

私が初めてニュージーランドを訪れたのは、まだ妊娠中に彼の家族に会いに来た時でした。

オークランドとクライストチャーチ、合計でたった2週間の滞在でしたが、海も山も湖も生活のすぐ近くにあること、空気が澄んでいておいしいこと、人々がリラックスしてフレンドリーなこと、車で30分もドライブすればワイナリーが広がるエリアがあること、カフェがおしゃれでコーヒーが美味しいこと妊娠中だったのでデカフェでしたが、一気にニュージーランドが好きになり、息子を育てるのは狭ぜましくて自然も少ない東京よりも断然ニュージーランドが理想の環境だと思うようになりました。

彼は息子が5歳の頃に日本を去り母国ニュージーランドに帰国をしていたので、息子を先に父親の元に渡らせ、私は貯金をしてその2年後にニュージーランドに渡航。

ニュージーランドは子供に国籍があってもその親には自動的に永住権が降りないので(泣・2020年現在)、雇用主を探し、ビザのサポーターになってもらって永住権を獲得しました。

永住権をどうやって獲得したかについては、またおいおい書いていきますね。

以上非常にざっくりとではありますが、私がニュージーランドに来た経緯を書いてみました。
今年でニュージーランド在住11年目。

この国で1年、また1年と過ごすうちにますますニュージーランドの魅力の虜になってきています。
なるべく長くこの国に住んでいたいというのが私の願いですが、人生なにがあるかわかりません。
ですが、ニュージーランドについてお伝えできる限りはこのブログでその魅力を少しでも皆さまにお伝えしたいと思います。

どうぞ、よろしくお願いします。

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